
カフヴェハーネ
かふゔぇはあねQahveh-khaneh / Kahvehane (Persian-Ottoman Coffeehouse)
カフヴェハーネは、コーヒーを出す店を指すペルシア語の呼び名です。トルコ語では kahvehane と書きます。Encyclopaedia Iranica によると、ペルシアの店には水パイプ(ガリヤーン)を吸える設備が付くのが一般的でしたが、今は少なくなりました。
カフヴェハーネは、コーヒーを作って出す店と、人が集まる場所のことです。ペルシア語の qahva-khana にあたります。オスマン帝国のトルコ語では kahvehane と書きます。
ペルシアでは、この店で水パイプのガリヤーンを吸う習慣がありました。Encyclopaedia Iranica は、ガリヤーンを出す店は一般的だったが、今では少ないと説明しています。ただし、これは昔のペルシアやオスマン帝国の話です。
Iranica によると、qahva-khana はコーヒーを出す店という意味です。19世紀の後半になると、ペルシアで一番よく飲まれる飲み物がコーヒーから茶に変わりました。
それでも名前は残りました。茶や清涼飲料、軽い食事を出す店を、qahva-khana とも chay-khana(茶店)とも呼んだそうです。茶を出す店にも使われたため、コーヒーを出さない店にもこの名前が付きました。
Iranica は、ペルシアで最初のコーヒーハウスは、シャー・タフマースブの時代に出たかもしれない、と慎重に書いています。確かな記録が出てくるのは、シャー・アッバース一世の時代です。カズヴィーンやイスファハーンなどにいくつもできました。
広がった背景として、Iranica は、サファヴィー朝の政治の安定、宗教的な争いの少なさ、人口の増加、道の整備を挙げています。都市化も関係したそうです。
イスファハーンでは、王の広場や大通りのまわり、神学校の近くに多くありました。多くは天井がアーチ状の大きな建物で、中央に池があり、壁にはくぼみと一段高い床がありました。
最初の客は、裕福な男性と知識人でした。サファヴィー朝のもとでは、芸術家や詩人、学者、音楽家、スーフィー、高官も通いました。旅行者のタヴェルニエは、ひまのあるペルシア人は毎日通うと書いています。
店の中では、詩人が自作やフェルドウスィーの詩を朗読しました。語り手が絵の描かれた幕を使って、『王書(シャー・ナーメ)』の場面を語ることもありました。客は払える額を語り手に払いました。
Iranica は、店がガリヤーンを吸えるようにしておくのは一般的だった、と書いています。ただし、いつからかは書いていません。
英語版Wikipediaによると、ペルシアで ġalyān という語が出る最も古い手がかりは、1535年に亡くなった詩人アフリー・シーラーズィーの四行詩です。シャー・アッバース一世はたばこを非難しましたが、吸う習慣はあらゆる階層に広がりました。
あとのシャー・サフィーは、たばこの禁止を宣言しました。けれど、たばこから入る収入もあって、のちに取り消しました。水パイプはその後、オスマン帝国に伝わり、17世紀からナルギレとしてトルコやバルカンの文化に入ったと、同じ記事は説明しています。
英語版Wikipediaによると、コーヒーを飲む習慣とコーヒーハウスは、アラビアからエジプト、イラン、そして16世紀のオスマン帝国へと広がりました。イスタンブール最初の店は、1555年にダマスカスの商人2人がタフタカレで開いたとされています。
店は、さまざまな身分の男性が集まる場所でした。女性と子どもは入れませんでした。読み書きできる人が、ニュースを読めない人に読み聞かせることもありました。学者のジョン・ホートンは、これを「ペニー・ユニバーシティ」と呼びました。ゴシップや芝居、影絵、語り物もありました。
数も多く、商店6〜7軒に1軒の割合まで増えました。19世紀の終わりには、イスタンブールだけで2,500軒近くあったそうです。ただ、同じ記事は19世紀初めの税の記録にも「2,500を大きく超える」と出ていて、この二つの数字はそのまま並べて書かれています。
Iranica によると、シャー・アッバース一世は、店での政治の話を心配して、聖職者に店を見張らせました。客のなかにはアヘンなどの麻薬を使う人もいました。サファヴィー朝の末期には、店は「悪徳の巣」と見られていたそうです。
オスマン帝国でも、店は取り締まりの対象になりました。ムラト4世は1633年にコーヒーハウスを全部なくしました。ただ、英語版Wikipediaは、こうした禁止はせいぜい象徴的で、取り締まる手段がなく、長くは続かなかったと書いています。イェニチェリが集まって政治の相談に使ったため、政府は見張りを置いたとも書かれています。オスマン帝国のエリートは、庶民が集まるコーヒーハウスを警戒していた、と英語版Wikipediaは書いています。
カフヴェハーネでは、水パイプを吸えたのですか?
Encyclopaedia Iranica は、ペルシアではガリヤーンを吸える設備を店が備えるのが一般的だったと書いています。今は、そうした店は少ないとも書いています。
今の日本のシーシャ店と関係はありますか?
昔のペルシアやオスマン帝国の店の話で、今の日本の店とのつながりは語られていません。
今もカフヴェハーネと呼ばれる店はありますか?
Iranica は、茶が主流になったあとも、この名前が茶店などにも使われ続けたと書いています。